我が家の危険地帯

たくさんの本
仕事を終え帰宅すると、奥さんが、ばっちぃーとか、これはなんかの卵?産卵の跡のような…とか言いながら本に掃除機をかけたりしていた。僕の手垢じゃない?かと思ったが、どっちにしても汚いかもしれない(笑)一応…先日、実家から本を50冊程度持ってきた時に、ウェットティッシュやティッシュで拭いてから自分の定位置の周辺に置いておいたが…。まあ、その周辺一帯は、今我が家の危険地帯になっているようです。

引っ越して2年くらい経つ。二人で住むには、少々広い部屋だと思うし、その上、二人とも物欲があまりないので、物は少ない方だと思う。さらに、いつも片付いており、所有物の大半は押入れに閉まってある。したがって、この家には、僕が見えるところに、僕の所有物があまりない。

片付いた綺麗な部屋はとても住み心地がよいが逆に刺激は少ない。これでいいんだろうか?と前々から感じてはいたが…先日、久しぶりに書店へ行き、棚にある背表紙を延々と見て回った時、読んだ事すら忘れていた本がけっこうあるなと感じ、同時に当時の記憶まで蘇ってきた出来事があった。情報はうまく取り出す事ができないと何の意味もない。といった内容の本を読んだ事があるが、現にそれさえ素早く引用ができない状況にある(笑)うまく取り出せない情報の塊が、今の僕であるなら、僕の力はとても薄れている気がする。

読書力の「本の背表紙が大事」には、まさしく僕が最近経験した事が、あっさりと書かれてある。

本は借りるものではなく買って読むものだという私の信念は、この背表紙にある。せっかく読んだのにその経験が、本がなくなれば思い返しにくくなるからだ。本を読んだこと自体を思い出しにくくなる。

今は日々が安定的に過ぎていく。それはとても幸せな事。片付いた部屋で、ご飯を食べ、寝て、仕事に行き…これを繰り返すだけで、生活だけは幸せに過ごせる。しかし、知的活動に不備がある環境にあるとなると、生きる楽しみ自体は減ると思う。おまけに、ここは地方で楽しみすら少ない場所であり、文化的素養が感じられる魅力的な人物と接する事も少ない。このままだと、本当に自分がどんどんカスになるんじゃないかと不安も出てくる…。せめて僕と奥さんの間だけは、この状況を脱して、人生を楽しもうと思った。

それはさておき、この家にある家具や家電は、かなり考えて買ったものばかりで、購入するまでに、1年かかったりしているものもある。カーテンでさえ、買うのに1ヶ月を要したくらいだ。そんな感じなので、結果として、とても住み心地がよく、物にも愛着や思い出があるんだが、本棚は後回しにしていたのだ。増税前には買わなきゃと最後の追い込みをして、ここ最近本棚の検索ばかりしているが、これがなかなか…。

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