旅行の計画
今の職場は、いろいろありはするが人間関係が良好。今年も社内旅行があり、また10人くらいを引き連れる事になった。昨年は、旅の栞を作ったら好評というか、僕が考えた時間割、行き先、金のやりくりがとても上手くいったのだ。時間単位で行き先を決め、目的地に行くまでの有効なルートを複数用意し、そこから走行距離、乗る車の燃費から燃料費を出し、ホテルの手配(団体なんで何かとお得な事になりやすい)と、現地の使用するだろうと思われる有効な駐車場と値段の把握等...けっこう細かく計画表を書き、調子に乗って、現地で知名度の高い飲食店や僕のオススメの店を選んでレビューを書いて付録にしたりした。
結果は、金銭面で見ると誤差は1人当たり1000円以内に収まり、各々の手出し分がなかった状態にもっていった。今日は班のリーダーが、行く所は僕の一存で決めていいから、よろしくとお願いされた。年下も年上もいるが、ついていきます系の人達が多く、意外と遊ぶ事すら考えるのが面倒な人が多いのかな?と思ったりする。遊ぶのが好きな自分にとっては謎だし、遊ぶ事を考えられないと、何を考えて生きてるんだろう?とか、生きてて面白いのか?と思う(;´Д`)
こういう旅行の計画については、社内でもいろいろ話した事もあって、僕みたいなのは少数派というか、その場で話した人からすると、そこまでやる人はいないって事だった。で、計画を立てないという多数派は旅の意外性やドキドキ感を求めるみたいな、良いのか悪いのか行き当たりばったりを受け入れる感じの発言が多く、そういうのは求めないのか?と聞かれた。
僕は「計画はあくまで計画で、計画しても行き当たりばったりはあるし、目的なく、現地で迷うのは時間がもったいない。行く先々で今日は定休日みたいな事になると、時間や交通費のコストが馬鹿馬鹿しいだけじゃなく、無駄に動いて体力的にも疲れてしまって、その辺のどうでもよい喫茶店に妥協して入りがちで、そんなところで珈琲を飲むくらいなら、最初から美味しい珈琲屋へ行く目的で旅行に出るか、そもそも旅行には出ずに家で珈琲を飲んでると思う」。というか、そんな目的のない行動をして、その場その場で仕方なく受け入れる事って、そりゃ楽しく遊ぶ事ができないわーって思う。つうかそれって何も考えてないって事で、なんで旅行へ行こうと思ったのか?とか疑問に思えてくる...。そして「現地でスマホで検索をかけたり、人に聞いたりして、情報を仕入れたとしても、入ってくる情報は同じだったりするから、先にやって準備しておくと楽じゃないか」と付け加えた。
行き当たりばったりの楽しさは、期待してなかったが意外とよかった的なもの、予備知識のない状態で自分達が取捨選択したという行為、成り行きを利用した結果を各々でポジティブに誤魔化しながら会話を楽しんでるだけだったりする。(集まったメンバーがそもそも自分と合うから楽しいだけで、場所なんか本当はどこでもよく、近所の居酒屋ででも飲んでろハゲみたいな)まあ、意外性の楽しさって、情報を取得した量の差から生じる結果になりやすいんだろう。予備知識が少ないほど意外に感じるだけで。
で、旅行って地方に行く事にもなりやすいが、そもそも地方にはサービスや店が少ないので情報量そのものが少ないので、その分は、把握漏れはあまりない。現地の人だけ行く的な店ですらネット上にあるしね。だから、今の時代だと、意外性は、五感的なものから起こりやすく、見聞きした情報から得た自分のイメージとの比較になりやすいんじゃないだろうか。意外とうまかったとか、まずかったとか。写真で見たより、すごかった、そうじゃなかった、ほぼ同じとかさ。それは、計画を立てる派も、存分に味わえる事だ。
まあ異論はなかったが、僕自身が旅行をきちんと計画して行くようになったのは、経験上、計画しないと後悔する事が多かったからかな。